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シューシューが亡くなった事は、以前にチラッと言った気もします
去年の初夏でした
当初は、誰にも一生言うつもりはありませんでした
数ヶ月して、シューシューの死に方を理解したら、隠すつもりもなくなったけど、あえて言いもせず
やっぱり猫型天使だったんです
考えたように計算したように、死さえ扱って死んでいった
その死に方を理解したら、整頓がついて、改めて尊敬が深まりました
周到で優しい死だったんです
でも後悔もひとつだけ
亡くなったのは日曜でした
数日前、久しぶりに母からメールがありました
たまに内容のないメールを送って来るけど、その時は訃報の直感がして、なかなか開けず、でもいざ見れば何の用でもないメール
いつも返信せず済ませちゃうけど、安心ついで、シューに会おうと「日曜に帰る」と返しました
ところが日曜に絵の仕事が入り、日曜は掃除の曜日でもあり、「来週でいいか」と帰りませんでした
そして日曜の昼に「今死んだ」と、今度こそ本当の訃報でした
絵の仕事は断っても良かった、掃除はしなくても良かった
仕事から帰ったら疲れて億劫にもなって…帰る時間はあった
もしくは土曜に帰っても良かった
あのメールが来た瞬間なぜ訃報と思えてならなかったんだろう
とんと帰ってなかったのに「帰ろう」という気にさせたメール
聞けば母も日曜の朝、シューから死の気配を感じたという
「そろそろ死ぬ」と思ったけれど、当日とは思わず、母も死に目を逃して悔いていました
月曜に仕事を早退して帰った時には、シューは死体で、泣きすがる内に死臭が始まりました
後悔があったから何度も思い出してはまた後悔し、でも何度も思い返していると、シューシューの用意した死に気付いた
猫型天使の計算を語るには、言葉は陳腐で役不足だから、そうしません
でも私は、シューの死を受け入れているんです、確かに