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無職の日々も半月を過ぎ、じきに一ヶ月に達しようとしています
空いた一週間の事を話すと、まず私の命は後2~5年ではないかと察しました
次にある日、幸せについてむくむくと気づき始め、その晩の寝る前ハッキリと幸せを悟りました
翌朝から倦怠感と憂鬱で、今に至ります
余命についての妄想はもう去っています
幸せについてはまだ覚えているけど、もうそろそろ忘れると思います
単なる一過性のローテンションとハイテンションのローテーション
無職でも、貧乏でも、追い詰められていても、こんな自分でも、私は幸せなんですよ
そもそも幸せも不幸も存在しなくて、日常はただ日常に過ぎない
環境はどんなに悲惨でもただの環境に過ぎない
自分の手持ちの日常や環境に、どんな照明の当て方をして、どう見せるか
照明次第で、肝試しの懐中電灯になり、華やかにも輝き、単調にもなり
そんな使い古された悟りを寝る前のベッドで実感してました(働けうすのろー)
相田みつをも「しあわせはいつもじぶんのこころがきめる」と言ってるね
みんな言ってます
その夜、急に素敵な照明の当て方のイメージが浮かんだんです
でも今は忘れちゃったなー
唯一覚えてるのが、パジャマが私の幸せそのもの全てだという事だけ
憂鬱の中にあっても、これだけが揺るがない事実です
照明なんて頼りないよねー…
自分が決めるんじゃそれこそ望みないってー
だって、幸せが自分によるなら、不幸な人種には望んでも伸ばす手がないな
パジャマだけが犯されない幸せだ
どう照明を当てても、暗がりでも、ふわもこ良い匂い
犯されえないイノセントキャットーにゃーにゃー
あー憂鬱がうっとうしいうっとうしい